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栗本が語る政治の世界

題字:自民党分裂の予測
 自由党が自民党に吸収されようというのがときの流れだ。また、公明党は小渕派の別働隊だという指摘さえあるこのごろなのに、ここで自民党が分裂するだろうと言うのはいかにも馬鹿げているように聞こえるだろうか。だが、間違いなく自民党は分裂する。その理由をここに明らかにする。

 もともと政策的まとまりを重視しない政党である自民党は、ほとんどいつでもそれなりに分裂の兆しを見せてはいたが、いざというときになると決まってその動きを収束させてきた。最大の理由は、議員たちが選挙を怖がるからである。彼らは、権力のおこぼれに預かれない野党所属になることを非常に嫌がるのだ。

 しかも、近年に一度、実際にに分裂したが、結果は誰の目にも明らかに悲惨なものだった。小沢一郎が竹下派を割り、新生党を作って、やはりこれも元は竹下派であった細川護熙が率いる日本新党とともにいったん非自民・細川政権を作ったあと、旧社会党に逃げられて政権の座から脱落するや、なんと公明党をも巻き込んで (あるいは公明党に巻き込まれて) 新進党を結成して敗北。その後、ほとんどの旧自民党議員に「逃げられて」しまったのであった。

 そしてわずかに残った小沢派議員たちの集合体たる自由党は、結局自民党と手を組み、連立政権において存在を示すという口実のもと、なんだかんだと「駄々をこねる」だけの政党になって、結局は自民党に呑み込まれること必至の状況を作り出しているだけである。誰の目から見ても自自公連立の主役たちは明らかに自民と公明の二つであり、自由は刺身のつま、あるいはせいぜいわさび(それも合成わさび)といった役回りなのである。

 もはや小沢個人が何を言っても、党内でもオオカミ中年扱い。選挙さえ自民で面倒見てくれるならいつでも自民党に入りたいという議員がほとんどだなのが自由党なのだ。思えば、ガイドライン、議員定数削減のいずれも超がつくほど重要な法案について、自由党は原則は譲らないと言いつつ、実はほとんど全部譲ってきたではないか。
 かつて、憲法問題や自衛隊についてまで譲るといっていた旧社会党をゴリゴリといじめ尽くして連立を離脱させ、ついには非自民政権崩壊の緒まで作った小沢としては、人が代わったほどの変貌ぶりだ。
 要は、小沢も自由党も、ただの落日、斜陽の時にあるだけだ。こういう状態を見て、さらに自民党がこれから分裂するなどとどうして予測できようか。

   しかし、自民党は分裂する。少なくともそういう大河の流れが始まったのである。世界の先進国内の政党で、もっとも長い期間、政権の座にあり、しかも政府主導のばら撒き予算の国を支配してきたのだから、その甘い汁から離れるのは個々の政治家にとって容易なことではない。

 それは、直接の利権ということだけではない。いまの自民党の政治家たちは、予算をばら撒いて、ゼネコン、下請けなどの企業支援を選挙マシーンとして利用していく構図から離れられないからである。
 権力のうまみというのは、巨大土木事業についてだけあるわけではない。下は町内会や老人会への、果ては盆踊りの補助金にいたるまで権力を持っていることは、大きな影響を生むのである。
 

自民党の議員は、ただ時代の流れによってそうなってしまった(これには主として福祉予算がある)ものまで、「俺がしてやった」と胸を張ることが可能だ。
 これは、まさしく特権である。もちろん、この特権は、いつに自民党が政府与党の位置にあるからこそ甘受できるものだ。官僚は、自分たちの本当にやりたいことを通すために、ばら撒きについては出来るだけ与党議員の要望を通すことにしている。

 だから与党でなくなれば、自民党議員のほとんどは自民党にメリットを感じなくなる。先の例であげた細川政権およびそれに続く羽田政権の時期は、自民党は野党になっていた時期だったが、その時期の自民党政治家には権力のうまみはまったくなくなっていた。したがって、それがあと一年もそのまま続けば自民党の分裂どころか解体に結びついただろう。
 「権力をもたない自民党からは、いつ離れても良い」というのが多くの政治家の本音だった ─ このことは、裏返せば権力の座にある自民党からは絶対離れたくないということにもなる。自民崩壊の兆しは山のように見え始めていた。

   ところが、小沢一郎はほとんど些細なことどもで旧社会党に「嫌がらせ」を繰り返し、彼らを自民党側に走らせてしまった。だから逆に非自民連立のほうが崩壊し、自社連立の中で自民党は与党の座に復権してしまった。非自民連立はそれがなければ、少なくとも自民党解体という歴史的大仕事だけは出来たはずだった。それなら、小選挙区制を導入しただけの政治改革よりはるかに実効のある政治改革になったはずであった。だが、それがただ日本社会党解体という小仕事にとどまってしまったわけだ。

 この小沢による自民分裂劇の失敗は、もう自民党が割れる事はまずないという気分をもたらしてしまった。そしていまやその小沢自身が、自民党にすりよっているこのごろではないか。

自民の路線論争の重大な意味
   だが、繰り返すことになるが、自民党は割れる過程に入った。このことはごく短くながら、『論争』(東洋経済新報社) 2000年1月号本誌前号において述べたが、さらにこれまでこのサイトでも述べて来た。いま少しそれを丁寧に見ておこう。
   まず、第一の理由は、自民党が過去に例のない路線論争を始めたということである。自民党という政党は、その基本的成り立ちにおいて、政策や基本路線を持って成り立っていない。自民党の政党としてのアイデンティティは、まったく別のところにあるのであって、それは私の著書『自民党の研究』(光文社)においても『現代政治の秘密と構造』(東洋経済新報社…本連載のこれまでのまとめ)においてもくどく述べたところだ。

 だから、実は本来、自民党には党員による路線論争なるものなど本質的に存在しえなかったのだ。

拙著「自民党の研究」カバー写真
小沢一郎が党を割ったときでさえ、路線論争があって、その結果分裂したというものではまったくなかった。小沢は、勝手に自分の意見を主張し、あとは政治的なチャンスと見て新生党を作っただけなのだ。そのとき自民党に残った政治家の多くにとっては、小沢はマスコミ等を利用し、勝手に宮沢内閣に後ろ足で砂をかけて出て行った人物なのだ。政治改革とは何かという議論も、すべて小沢の腕力によって築き上げられた土俵でだけ論じられたではないか。

 これは要するに、小沢は小沢で勝負をしたのだが、・政治改革とは何か・をも含めて、自民党内での分裂にいたるべき路線論争があって、それを踏まえて党が分裂したわけではないということである。ある意味では、この、言ってみれば党を割る必要がないのに割ったというところに、自民党側の小沢に対する不信感の根がある。また、多くの小沢について行った議員が、自民党の誘いのままに復党していった根拠もあるわけだ。
 何にせよ、これまでも政治的な内部対立はあったが、基本路線に関わる論争や対立が公に論じられたことは皆無だったといってよい。

なぜ、そういうことになったかー菅民主の逃げと国際資本の攻撃
   それが今回、公に論じられ始めた。もちろん、そうせざるを得ない状況も生まれたからだ。                                          ・・その状況とは、自自公連立という表面に結果しているが、根本は小渕内閣が98年の参議院議員選挙での自民大敗と、同年秋のいわゆる金融再生国会での政策的敗北という危機の中で生まれた状況だった。蔵相宮沢が打ち出した方針は、放漫な経営で不良債権の山を築いた日本長期信用銀行に税金を投入して逃げ切らせるというものだった。これは国内では野党民主党の反発を招いたが、民主党は絶対のチャンスにもシュートを放たなかった(解散総選挙をも視野に入れた戦いを自民党に挑まなかった)。だから、小渕は生き延びたし、小沢はもう自民を倒し、自分たちが野党で選挙に臨めるチャンスはないと踏み切って、自公の前に自自の連立に踏み切ったのだった。
 このとき、国内政局では何とか優柔不断の菅民主党に助けられたが、国際的には「日本はいつまで不良債権の処理や金融システムの再生をごまかす気だ」という批判が巻き起こっていた。日本の不況がこれ以上続けば、世界経済のお荷物になる。日本の不況は、まだあちこちにごまかしがあるにちがいないと国民が日本の金融システムをみているようでは絶対に克服できないものだった。

 経済のパフォーマンスが国民の心理の結果であることがこれほど明確であった時期は、世界でもあまりなかったのではないか

   金融再生国会では、自民党の政策的撤退により長銀はつぶされることになった。つぶれてみれば、それ以上のパニックなどどこにも起きなかった。

   誰もが、自民党と大蔵省の結託による政策ごり押しは、根拠のないものだったと知った。自民党は、長銀をつぶすとパニックだという大蔵省のウソを国民の前で大きな声でがなり立てていただけだった。小淵と宮沢は、長銀をつぶすといかんと言うどころか、実は日本リースという長銀の系列会社をつぶしてもいけないから税金を投入しようと言っていたのだった。もちろん、日本リースなんかつぶれても何も起きはしなかったが…。アホやねん。アホやねん。だまされていたあなたがアホやねん。
 これは、大蔵省がいかに経済運営について無能だったか、無責任だったかを示す「事実」である。日本国民は大蔵省発の経済運営にはっきり大きな疑問を持っていたが、不良債権処理とその責任をごまかすというやり方にアメリカもはっきりNOを言うことになった。「もう、あかん、これは国際経済にも響く」というものだ。

   金融再生国会は、自民党が権力の座にとどまるためには本当に瀕死の危機であった。もし、菅がそこで小淵を本気で追い詰めるつもりなら、いくらでも手があった。また、自民党内にも呼応する動きも出てきたはずだった。だが、菅はみすみす (あるいは好んで?) 小淵自民党が逃げ切るのをただ見守る。これは、政局のベテラン小沢一郎の大きな失望も生む。金融再生国会を「政局」に持ち込めば当時の野党は必ず勝ったはずだ。何しろ自民党は、税金で長銀を救わねばならぬ、経営者や指導した大蔵省に責任はない、と言って選挙を戦い、野党はその直前の参院選の勝利の勢いを引きずりながら、正論、正論の攻撃が出来たのである。自民敗北の目しかないことは、誰の目にも明らかだったはずだ。

本来、起きるべきだった反乱のシナリオ
   そうなれば このとき、私も当然離党しただろうし、都知事選で孤立した戦いをする前であって、「同志」も相当数存在したことは間違いない。実は、小淵の民主党への妥協は、この党内の反乱の予兆を感じ取ったところからも発していた。

   分裂、または反乱のシナリオはこうであった。国会がデッドロックに乗り上げてから離党したのでは、選挙に対するアピールが弱い。だから、まず自民党が過半数を持つ衆議院の採決 (金融再生関連法案) の際に、はっきり長銀救済に反対だと態度を示さなくては意味がない。衆議院でも12、3人の自民党議員が内閣提出法案に反対票を投じれば、自民は過半数を割ってしまう。そこで公明がいきなり自民に票を合流させることは出来ない。

   そうなると、法案は参議院までも行かず、衆議院で否決される。ここで以下にボケ民主党でも内閣不信任案くらいはうつだろう。そして、可決される。小渕は解散の手をうつしかなくなるはずだった。そこまで行けば民主党は、ただ押せ押せの選挙を行なえばよい。間違いもいなく、90年代二度目の非自民内閣が誕生したはずだった。小沢もそのことを夢見て、最後の望みを託していた。このとき自民党も必死だったから、出来る妥協すべてプラスさまざまな懐柔策を菅民主党にぶつけていた。

   ただ勇気がなかったのか、なにかがどう効いたのか分からないが、とにかく菅は、小渕をいったん逃してしまう。小沢も「政局から逃げる民主党」の絶望し(ついでに私も何もしない小泉純一郎に絶望)、もうひとつの最後の賭けを自自連立に向けて張っていくことになるのである。

小沢、小渕、竹下、大蔵省、そしてついにアメリカ、国際金融資本
   これは小渕にとっても、その背後の竹下にとっても、まことにあと一歩で地獄のがけっぷちまで行ったということだった。だから小渕は、それ以降、責任者の大蔵省を「切る」。もちろん、複数の手を持つ千手観音・竹下登も了承する。だってそれしかないからだ。ここで・・・大蔵省を切ったなら、もはや代わりはアメリカしかないではないか。大蔵省出身で、問題の長銀にも深いかかわりを持つ宮沢喜一は、舵の切り替えの責任者としての役割を負わされる。情報の出し方によっては、長銀の元経営陣ともども犯罪者になりかねない宮沢なのだから、これには嫌も応もないのである。
 竹下はこのとき、新たな路線構築に際して、独自勝手な野中も切ることにする。だから自自連立の工作は野中にも、その盟友化していっていた森にも知らされず進行された。

 この時期に決定され選択された小渕の路線が、論争を呼ぶことになる。要するに、世界経済に迷惑をかけないように、グリーンスパンに文句をつけられないようにということで、国際金融資本とその傀儡とも言える米クリントン政権の指示する方向を継続的に選択するというものである。これは、グローバルスタンダードなるものを、いわば金科玉条のごとく日本経済に対して先方の都合で採用していくことを意味する。

   かつての不良債権処理についてあまりに偏狭な排外的秘匿主義だったことは間違っているが、今度はほぼ一気の身売りのようなものである。すべての事を隠され、情報が公開されたときにはほとんど選択の余地なく死地に突っ込まされた長銀の普通社員の状況を全日本人に強いるようなものだ。
 このため、まず安保とガイドライン関連法案を99年春の目前に控え、自由との連立が企図され、ついでその他の諸法案が通過することが企図されて、公明との連立が作られたわけだ。
 こうした小渕の動きは、自民党内において議論もまったくなく進行し、ほとんどの議員は新聞やテレビのニュースで自党の動向を知るという異常な事態が通常となっていた。

   ここで行なわれたのが、99年夏から秋にかけての自民党総裁選挙である。この総裁選は、98年夏のそれが任期途中で辞任した橋本竜太郎の残任期間のためのものだったからだが、小渕派は黙って小渕について来いという党内キャンペーンを盗聴国会後期から張りまくっていた。それは要するに、加藤紘一潰しだった。98年夏の総裁選で加藤は、野中の求めに応じ、中途で不人気ゆえに苦戦していた小渕支持を表明する。それにより梶山、小泉に追われて苦しんでいた小渕にとって加藤は、小泉を押すふりをして裏切った森とともに小渕内閣誕生の功労者となった。本来,その功績は、本来、小渕の次は加藤という禅譲論となって結実すべきであった。

ついにタブーの路線論争
   ところが、ところが,事態は野中と手を組んだ森の台頭、加藤派から小渕政権中に送り込まれたはずの古賀誠、池田行彦らの加藤への反乱の構えができるという形で「恩が仇となって」 帰ってくることになった。非小渕を貫けと主張しつづけていた白川勝彦らはここにいたって、路線論争を挑み、自自公反対を明確にして戦いとらないと加藤政権はないことを加藤に直言、加藤もそれを了承して総裁選の戦いに入ったものだった。目的は、票で負けてもビジョンと論争で勝って、次を待つというものだった。いろいろ言われている男だが、加藤はここで勝負に出たのだ。
 こういう背景で行なわれた総裁選は、自民党の歴史において皆無である。この挑戦を受けた (もっとも挑発をいとわなかった) 小渕は、総裁選のさなかから終わったあとの人事を口にして党全体を締め付けた。加藤は、小渕―竹下の従米路線を意識して、自立とアジア重視を掲げたのである。また、景気対策、すなわち地方への税金ばら撒きと国際金融資本へのごますりを通じた株価維持一本の小渕に対して、健全財政、公共投資の選別、グローバルスタンダードへの国内システム(つまり国民生活)を保持しながらのアジャストを主張した。

   一方で、加藤派幹部の白川は、自自公連立は憲法違反であるとまで自己のホームページhttp://www.liberal-shirakawa.netで主張するほどであって、なんとも明確な対立である。ちなみにこのホームページは、開設一月にして4000以上のアクセス、50万ヒットを獲得するという、この分野での特別の成果を上げて注目されている。また,開設二日目にハッカーが内部にいたずらするという,誰がやったか想像がつくような攻撃を受けた。
 わがサイトはもっと多い数字だが,これは白川勝彦より顔が小さい,ルックス上、クビと顔と肩が一応分かれている(白川はクビ肩一体型のオールインワンブルドーザーである)、などの別の要因も含まれていると思える。

 いずれにせよ、、政治に電脳空間が新たにもたらす影響はこれからは想像できないほど大きいであろう。これまでは、政治家のホームページは、本人たちが通信分野の専門家を自称している場合をも含めて、ネット愛好者の一般的軽蔑の対象となるほどレベルの低いものだった。単なるビラ撒きの電脳版にすぎなかったからだ。白川も私もその点で、新たな電脳政治の時代の先鞭をつけかけていると言える。・・・なお、私たちはさらにインターネット新党・電脳突破党(宮崎学総裁)を立ち上げている。

   さて、こうした路線論争は、まちがいなく過去にない構造的亀裂を自民党内に生んだ。そして路線の違いなのだから、所属の党の違いとなってもおかしくない条件を作り出した。以上が自民分裂の大きな基盤である。

分裂を可能にする具体的条件
   しかし、既述のように、これまでの自民党ではそういうことくらいでは現実の分裂にいたらない。そこに次の条件が加わることが重要である。

   自民党政治家の実際の選挙において、選挙の実働部隊は後援会員の中年の女性たちである。これは商店街の女性部だったり系列地方議員の後援会女性部員だったりするのだが、電話作戦を使う場合は、実際上、ほとんど立正佼成会や佛所護念会などの宗教団体からの協力なしには実施が出来ないものなのである。特に都市の自民党はそうだ・・・ここらは,「自民党の選挙の表と裏ーその攻略法ー」として,超近日,このサイトで特別サービス講義を開始する。非自民人?はプリンターに紙を大いに詰め込んで待っておくように。


 選挙にとってきわめて重要なこの集団が、今回、自自公連立ということで怒っている。言うまでもなく、創価学会を政権の内部に取り込んだということが原因である。これについて、当初、森−野中ラインはきわめて簡単に考えていた。
「数が足りないからやむをえないじゃないですか」くらいの説明で済むと考えていたのだ。しかし、自民党の執行部が丹念に公明党の取り込みを策していたことは国民にはっきり見えていたことだ。東京都知事選を始め各地で創価学会の意向が自民党を動かしていることが誰の目にも明らかなのに、それをごまかせると考える森や野中の神経のほうがどうかしている。馬鹿じゃないか。

   各宗教団体の反応は、自民執行部の予想をはるかに越えて激しく、立正佼成会は自民各議員一人一人に質問状を出し、「面接」をするという念の入れようであった。時の通産大臣で、盗聴法推進の犯罪的責任者与謝野馨は、新宿の立正佼成会教会で面接を受け、はっきり不支持を通告された。かくして自民党の中での自自公派の議員は、間違いなく今度の選挙は創価学会のマシーンで戦うしかないのである。それは、旧来の保守層にも反発を招く。
 そして逆に反自自公派の議員は活動的な各宗教団体の支援を得られる可能性がある。こうなると、これまで、自民でないと選挙に差し支えるからと二の足を踏んでいた政治家に対して、決定的に違う状況が生まれてくると言わねばなるまい。いま、選挙を目前にして自民党各政治家は、年始回りで信じがたいほどの自公協力への反発を受けているのである。
 ここで反自自公路線への転換を明言出来るなら各宗教団体の支持を大きく受けるという状況が生まれていく。さすれば、自民党は分裂しても構わないという意識が生まれるにちがいない。これは、もはや足止めの効かないのだ。政治家の選挙に関する嗅覚は、評論家が想像する百倍もある。どんなくだらない政治家も選挙にはほとんど生死を賭けている。だからこの条件は、大変現実的で大きいものなのだ。

次々回の選挙前に具体的時機が来る
   最後に、選挙前に自民党を打倒できる可能性のある新党が生まれることが、もっともマスコミ受けしやすいし当選のチャンスも拡大する。その要因を見ると、小渕に従米路線をとらせるきっかけを作った菅民主党は鳩山民主党に変わって、これまた経済の自立、アジア諸国の重視、国際金融資本の跳梁に対する国民生活安定の重視を打ち出している。
 自民党だけでなく民主党もまた、政策を中心に動く政党などではないが、鳩山・加藤の連合はおそらくひとつのブーム程度は作り出し、ひとつの新党が生まれるために必要な熱気というか、エネルギーを用意するだろう。
 だから、自民分裂、財政再建と国民生活重視を軸にした政党ができる条件は、これまでとまったく違う密度で用意されてきているのだ。あとは、きっかけである。今年の選挙前にも絶対にないとはいえないが、それは明日解散がないとは言えないというレベルに近い話だ。黒幕竹下もまだ生きており、反クリントン・ゴアであるところの新ブッシュ政権もまだ出来ていない。旧来上記の条件が揃うのは、今年あるべき総選挙の次の総選挙、つまりおそらくは2003年後半の選挙前のことである。そこまでは自民党はこれまでどおり、なんだかんだとあの手こで旧来通りどおり生き残るだろうが、もうそこでは逃げ切れない。よって「2003年、自民党は分裂する」と私は予測するものである。
…諸般の具体的条件の変化による予測の変更は、少なくとも一週間ごとには更新しているこのWebサイトで示していくことにする。要注視!

00.1.14

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