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栗本流 哲学・生命論
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心と身体

経済人類学者/東京農業大学教授
栗本慎一郎

   身体にとって心とはいったい、なんなのだろう。それは、もちろん、運動にとって心とはなんなのかという問題となってくる。
   科学哲学者マイケル・ポランニーは、身体と精神の関わりという古くて新しい問題について「層の理論」というものをうちたてた。

   これはまず、身体自体において原子そして分子という最も物理的に基礎的なことどもが、たとえば細胞というある一定の統合する原理によって制御され、なおかつまとまるものになること、またそれが胃なら胃という別の上位の原理によってまとまるものを形成すること、さらにそれが消化器系という上位の原理によって制御されていくこと、そしてまた消化器系と同格の別の器官系がまとまって統合され人体の統合原理が生み出されるということを言っている。その人の身体は、精神すなわち心によって制御される「下層」の原理なのである。

   簡単に言えば、下位の層にあるものは基本や基礎であるという意味では上位の原理よりも「偉い」と言える。われわれの身体は、放射能の照射を浴びて、細胞の原子のレベルで変化をはじめられたら、いかに心を強く持っても生き延びることは出来ない。その意味で、下位の層にあるものは、上位の層が物理的に成り立つ必要条件となっている。

   しかし、上位の原理は下位の素材を統合制御するのである。上位の原理がなければ、いかに原子が健全?に存在していてもわれわれの身体どころか、細胞ひとつたりとも存在し得ない。つまり、こういったものどもが、層をなして下から上へと積み上がっていることをもって身体が成り立っているのだ。よってこれが「層の理論」と呼ばれる。

   そして、実はこの「層の理論」は、身体から最後は精神をその最上位の制御原理として置く。最上位ではあるが、それまでのものと特段に違う上位ではない。だから、原子が崩壊すればそれによって成り立っている消化器系も崩壊するが、消化器系が崩壊して器官系の有機的関連の原理が物理的に崩壊すれば、最後は精神も崩壊するのである。だから、消化器官と精神との関係は、原子と消化器官の関係と変わらないといえば変わらないのである。

   かくして、精神すなわち心は下は原子のレベルから積み上がってきた身体の物理的諸階層を最後に制御する

   このポランニーの理論は、心身問題についてもっとも包括的に精神と身体との関係を説明しうるものだと、私は考えている。素材と統合制御する原理との関係も明確である。素材にとっては、その統合原理は「意味」となるのである。その統合原理の周辺部または周縁部は、いつも揺らぎに満ちて、危険な状態である。そしてだからこそ、原理から外れようとするものを無理やりにでも原理の維持のために取り込んでおこうというドライブも生まれる。

   これが、たとえば幻肢または幻影肢という現象である。じっさいにはなくしてしまっている四肢の一部を、本人はまだ完全にまだ持っているがごとき感覚を持ち、認知しているという現象だ。

   人生の最末期、糖尿病の進行により足先を切断した私の父は、病床にて、無くしてしまった足先が痒くてならず付き添いの人にそこを掻いてくれと強く訴えて困らせた。息子と違って、誰もが認める特別にまじめで忍耐心に満ちた父であって、長い病床の期間中も特別にまわりに要求することもまったくない模範的患者であったため、人々の困惑はきわまった。これは、ひとつの足先の切断が身体の物理的原理の全体性を脅かそうとしていることに対抗して起きたことだ。つまり、危機にあたって原理を維持しようというドライブが働いたのである。

   こうした、心による統合の原理は、しばしばわれわれがイメージと呼ぶものとしてわれわれ自身には意識される。幻肢もまたイメージといえばイメージである。ただし、そのイメージが感覚をも伴っているのだが・・・。
   そうなのだ。イメージは、最終的には感覚をも伴う。幻肢ではなく実際に欠けることなく身体を持っているとき、心がもたらすイメージが運動の効率や結果を決定すると言える。逆に言えば、イメージなしにはいかなる運動もなしえないはずである。イメージがあることによって、人は1秒間に83メートルも走る(時速300キロの場合)レースカーを、相互の間隔が2メートルだ3メートルだという超接近距離で競り合うことが出来るのである。
   四輪車よりバイクのような二輪車のほうが、より身体とイメージの関係は直接的かつ密接になる。二輪車のレーサーは、自分が運転するバイクがカーブを切っていく様子をあらかじめイメージすることによって、よりよ適切に体を傾け、高速に対応してカーブを切っていくことができるのだ。そして、そうまことにうまく出来るとき、身体は快感を得るという状態になる。その快感は、ときに自分の体がバイクの端々にまで拡大しているかのような錯覚を生むことさえ引き起こす。感覚的には、身体が身体の外に拡大し流出しているかのようなことが起き得る。

   これこそが、身体を統合制御する精神すなわち心の働きの主要部にほかならない。意識的なスポーツが、精神を強化するというのは、スポーツが統合制御の原理をも強化する意味を持つことによって説明されうるものなのである。

参考文献
拙著 『意味と生命』 青土社刊 / マイケル・ポランニー 『個人的知識』 はーべすと社刊
拙編著 『経済人類学を学ぶ』 有斐閣刊

リハビリテーションにおける心の役割

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