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栗本慎一郎著書紹介

19791983

栗本慎一郎略歴


著書のご紹介


「経済人類学」 東洋経済新報社 03-3246-5661) 1979/12/13 1505円
表紙写真 経済人類学者栗本慎一郎が、ハンガリーのカール・ポランニーの思想を受け継ぎ、言葉の本来の意味における「経済」の仕組みを深層から解明する。

本書が明らかにしようとする経済人類学の目的及び存在理由は、その実存主義的アプローチが既存諸社会学を見渡しても唯一と思われる有効性をもっていることにある。本書はあるていど入門書ではあるが、単なる解説書にとどまらず、より進んだ個別研究も含められている。「経済人類学は、もしも本格的に構築されるならば、これまでの市場社会(現代資本主義社会)を対象としてきた経済学をその一部門として包括する可能性があるものなのであって、けっして、逆に、これまでの経済学の下位部門の新顔の一つにとどまるものではないのである。経済学だけの問題ではない。文化人類学の内部においても、単なる部分領域にとどまらず、その学問的全体の軸になる可能性を経済人類学は持っている。そうした超領野性と根源性こそが、私が現代の学問にとって枢要なものとして経済人類学の研究を選びとった理由である」(本文より)
〈第一部 深層への回帰 第二部 交換・貨幣の両義性 第三部 領野を超えて〉

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法社会学研究 1800円
表紙写真 amazon.co.jp
法・社会・習俗
表紙写真
経済人類学を学ぶ
表紙写真 amazon.co.jp
社会科学の変換を求めて
表紙写真
五月のテニスボール
表紙写真 amazon.co.jp
幻想としての経済 青土社 03-3291-9831) 1980/12/31 1600円  amazon.co.jp
表紙写真 なぜ人間は過剰な生産と過剰な消費を追いかけるのか。呪術・エロス・象徴・タブー・無意識など、人類の深層に横たわるものを交換・互酬・分配など経済行為の核心にかかわるものとしてとらえ、根源的な視点から,経済学の再構築をはかる.画期的な視座。

(あとがき〜)「人が物を書いたり、本を出したりするのはいったいなぜなのだろう。それは、自分の書いたものを通じて、顔も知らないどこかの読み手とコミュニケートできると信じるからであるし、その読み手を通じて社会とコミュニケートできると思うからなのであろう。難解だとか、孤絶したといわれる思想家にしても、次々に著書を上梓しようとするについては、読者と交信できると確信しているのでなければならない。
けれども、結局、陽の目を見なかったりするそれらの「本」のうちで、いったいどれだけのものがその著者の深奥にとって必要なものなのだろうか。出版ブームの中で私はどうも疑問を禁じえないのだ。後世の研究家にとって不便であろうとなかろうと、何も書かなかった大思想家が歴史上無数に存在したことだろう。それは、ただの主婦だったり、売れっ子売春婦だったり、三流剣闘士だったりしたまでで、黄泉の国へ去った。だから現世で書いたり語ったりする行為には、他者との交通、すなわちポランニーのいう交換(インターチェンジ)の内的要求があってはじめて出てくるのである。その他者との交通の目的が、売名であったり、学位取得の手段だったりということでは哀しいではないか。
従って、私はマックス・ウェーバーやマルセル・モースが本を書こうとしなかったこと、カール・ポランニーが『大転換』を」書くのに渋りに渋っていたことがよく解かる。ポランニーは、ピーター・ドラッカーの誘いにより食うために本を書かねばならなかったのだが、他方で自ら出版を熱望した『人間の経済』については、途中でタイピストに払う金もなくなってしまうほどだった。彼は弟の科学哲学者マイケル・ポランニーとの関係には一言も触れなかった。勿論、無視していたわけではないし、実は思想上深い関係があるのにである。だから、私の本もそうだが、言語化されているものが「すべて」ではないのだ。公刊することを目的として物を書くときは、著者の深層の理由に基づき(選択)がなされてよいし、また、なすべきだと私は考える。
私の第二冊目の本であるこの書は、もともと前著『「経済人類学』と一冊の形で出版しようとしたものである。
…けれども本書は前著の補足などでは全くない。逆に、より一貫した全面的展開を試みたもので、貨幣論や交易論において前著が本書の補足なのである。
一つ一つ到達の碑として著書を著していく学者の途というのは、きれいな幻想であるが、私はそれは嘘だと思っている。あえていうならば、すぐれた学者や思想家は、一度登った高い山から一歩一歩降りてくるようなものだと思っている。学問的研鑚は他者とのコミュニケーションの道具を豊富にしてくれる。真の学者は、マルクスやヘーゲルやアリストテレスを語りながら、次第次第にその存在の内奥を(世に問う)てくるようなものではなかろうか。…」

「パンツをはいたサル」人間は、どういう生物か(光文社 03-3942-2241 1981/04/05) 767円
表紙写真 80年春 第二版 本書は,ヒトのすべてが内知を持ちながら、それをある一定の陥りやすい欠陥ゆえに働かせることができないことを明らかにしている。「過剰」「蕩尽」「パンツ」の概念を基にシステムの繋がりを見せることで、ヒトの社会に充満する混乱をときほぐす本書はクリモト流「層の理論」の入門編として必ず読みたい眼から鱗の落ちるような一冊。(1988年に第二版を刊行。初版との差異を読み比べると興味深い)
(あとがき〜)
現在もありとあらゆる分野で発想の転換や、新しい発見の方法についてのノウハウの入門書が出ているが、もしあなたが新しい発見の方法を求めるときには、あなた自身がすでにもっている内知に依拠すること、それ以外に方法はないのである。
私も、この本を自分の深層の知(内知)に基づいて書いたのである。だから、正確な表現で言えば、もともと体が知っていることをちょっと出してみたのである。
…(中略)もし、もうちょっとポランニー兄弟やそれを発展させた私の理論を知りたいという人がいれば、カール・ポランニーと経済人類学については、『経済人類学』または『幻想としての経済』を、マイケル・ポランニーと深層の知の理論や時間・空間論については、『意味と生命』をお読みいただければ幸いである。
そして、生命および進化については、この本でほとんどふれずに残しておいたが、この本の続編『パンツを捨てるサル』で多少は意外な展開をしているので、御一読のほどを。
さて、いつ全部を捨てましょうか。

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経済の誕生 小松和彦×栗本慎一郎
表紙写真 amazon.co.jp
経済人類学の眼  (青土社 03-3291-9831 1982/05/15 )1600円
表紙写真 1979年2月「現代思想」の〈想像力と幻滅〉をはじめとして、82年までの間に「現代思想」「ユリイカ」「諸君」「読売新聞」「ポスト」などに書かれた評論を編み上げて一冊にまとめた経済人類学のエッセンス。
血と薔薇のフォークロア (株式会社リブロポート 03-3983-6191 1982/06/25)  1900円
表紙写真 アール・ヌーヴォー、そして吸血鬼のかおりを追って訪れたトランシルヴァニアとブダペストの旅.。カメラマン中村英良の写真も美しい。薔薇のブダペストにとって、血のトランシルヴァニアとは何か?
「この本はなぜ血と薔薇を表題にしているのか。トランシルヴァニアの吸血鬼の血とそれを吸って咲く赤い薔薇というわけえではない。薔薇十字軍の薔薇でもない。
この本はカメラを持った、東欧はトランシルヴァニア紀行でもあるから血の方は確かに吸血鬼にまつわる血なのだ。しかし、そこに、民族の血、文化の深層に流れる血という意味もこめられている。それがやがて、カール・ポランニーの経済人類学や、マイケル・ポランニーの深層の知の理論に、流れ込んでいくものだからだ。
薔薇とは、ドナウの薔薇と愛称される美しいブダペストを指す言葉なのだ。ドナウの薔薇ブダペストに現代思想の源流を尋ねながら、それがなぜ、トランシルヴァニア調査行に結びつき、ついでにドラキュラ侯の遺跡まで訪れることになってしまったのかという理由は、この本を見ていっていただければ、次第に判るであろう。取り敢えずは、難しく、出発しよう。」(本文より) amazon.co.jp
ホモパンツたちへ   情報センター出版局 刊  1982年 883円
表紙写真 「いのち」とこの本で呼ぶものは、そのようた内容をこめてのものなのです。私がこの本を書くのは、現在、このような「いのち」が、あまりに見つめられることが少なく、また、それを既成の「ことばしで規定している状況をいきどおるからです。「ことば」は、人がすでに知っていることの伝達手段であり、「道具」でしかないはずたのに、それが実は相手を規定してしまうという馬鹿げた状況が見えるのです。
第二次大戦前、「アカ」とか「主義者」という「ことば」を用いて、反戦平和運動のニンゲンを頭から差別し、排除しましたが、それを取り締まっている官憲側の人間が、イギリスの初期資本義を指す「重商主義」の研究書を見て、これは「主義者の本だと考え摘発するとして騒ぐというトンチンカンなこと生みましたした。これは、まさしく「ことば」に支配れたダメ人間の姿なのだというわけです。「ことば」がその本来の機能を果たすことなく人間のあり方を支配する位置につくとき、人はその「いのち」を美しく生かすことはできません。私は、この本を書くことによって、「ことば」の支配から人の「いのち」を取り戻したいと思うです。 amazon.co.jp
「パンツを捨てるサル」「快感」は、ヒトをどこへ連れて行くのか

光文社 03-3942-2241 1988/04/25)730円

表紙写真 ヒトはパンツをはいたサルである。パンツはヒトを人間たらしめており、それを脱ぐときの快感のためにあるという栗本理論(過剰=蕩尽理論)の著・「パンツをはいたサル」から7年。21世紀への岐路に立つ人類への指標となる話題作。

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「意味と生命」暗黙知理論から生命の量子論へ(青土社 03-3291-9831 1988/6/15 1800円
表紙写真 ライフワークであるマイケル・ポランニーの暗黙知理論の展望を、著者が化学認識論として「現代思想」へ発表した集成の書。メルロ=ポンティ再評価の契機も提出しており、時空、言語、身体、諸細目としての世界観などにおいて、科学の持つ可能性を一変させる視座を提起している。
栗本慎一郎の哲学的基盤の一部を明らかにした書。
「本書はかなり難解であるし、西欧形而上学の伝統を批判して決別したというより、ある面では全く別の真実の光の地平から進みきたって邂逅して批判しているものであるから、時空論にせよ、エントロピー論にせよ、言語論にせよ、旧来の俗流西欧知識人主義を排して何度も精読せねば判るまいと敢えて言っておこう。
多分、この書は、私にとって、人生中期の中心的な書物である。『ブダペスト物語』(晶文社)なみの愛着と『経済人類学』」(東洋経済新報社)『幻想としての経済』(青土社)と同じ誇りと『パンツをはいたサル』および『パンツを捨てるサル』(カッパ・サイエンス)に匹敵する気迫とをもって世におくる。」(あとがきより)amazon.co.jp
加速する変容 栗本慎一郎対談集
表紙写真 amazon.co.jp
「都市は発狂する」光文社 03-3942-2241 1983/06/30 ) 680円
表紙写真 ヒトはなぜ都市をつくり、いかなる都市をつくろうとしてきたのか。都市の光と闇に隠された謎とは何か。著者がいうパンツの一種であるコトバから解放される空間としての都市の重要性を世に問う名著。
REN-AI GENRON 林真理子 吉本隆明 栗本慎一郎
表紙写真
相対幻論 吉本隆明 栗本慎一郎     (冬樹社 03-3264-7757 1983/10/25) 1200円
表紙写真 オジサンたちも、怒っているばかりじゃいけない。どーも世界はどーにかなりはじめているのではないか、と、お気付きの皆さんに向けて.(「ヨシモトとクリモトの対談でサ…」とか言ってカッコつけたい方々にも大好評です)

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