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コラム


栗本オピニオンレーダー・エッセイ

解散は時の女神の手中に入った?
         ―――そして、それはいつなのか

前コラム「経済(株価)と自自公 小渕政権と総選挙の新展望」
      に続き、その後の株価推移と成長率(第三四半期)から継続分析する・・

もはや小渕に解散権はない!!
   今年中に衆議院の解散があることは決まっている。そして、衆議院を解散する権限は総理大臣が持っている‥ことになっている。だが、いまの小渕にはそんな力はない。

   これまでも日本の政治において、実際に誰かが勝手に専権を行使することなどありえなかった。日本の政治は長老政治であり、集団優先制なのだから当たり前だ。

   自民党の長い戦後社会の支配構造参加の歴史においても、実は何度も政権から追い落とされる寸前の危機があった。60年安保のときもそうであったし、沖縄返還、売上税(消費税の前身たろうとした)導入問題、ロッキード疑惑などの時期もそうであった。こうとき、野党は常に攻めきらず、どこかで自民党に逃げ道を用意してやっていた。

 だから、解散は、与野党の攻防の間の阿吽の呼吸において決まってきたのである。また、70年代までは、主として防衛外交問題において、80年代からは、経済問題を加えて、とにかくアメリカの利害との調節が自民党の課題であった。これをまとめると、解散総選挙の時期は自民党幹部とアメリカ、自民党幹部と野党の雰囲気との調整において決められたと言えるのである。

   この暗黙の、かつ断固たる構造を飛び越えて、総理だろうと誰だろうと、個人が権力を振るおうとすれば、ただただその個人は追い落とされる。金丸信のような実力者は、そこらの雰囲気を読み取り、それを一つの言語的結論にして提出する名人だったからこそ実力を持っていたのだった。

   2000年の今日、その金丸のような実力者は、日本政治において存在しない。唯一、病床の竹下が、何かの決定を引っさげて小渕に電話するとき、そういう実力者が時のあわひの中に陽炎のように現出するだけなのである。小渕恵三は、その竹下の意をもっとも良く受けていると認知されている。であっても、小渕があるとき、断然として、いついつ解散することに決定したとは言えるものではない。

自民党内反対派とのクロスオーバー
   政局との対話、今は少なくなってしまったが野党の攻撃との対話、そして、自自公連立ならば、究極的には公明党・創価学会との対話が絶対に必要なのである。それに今回は、自民党総裁選挙でのっぴきならぬ路線論争を行なってしまった関係上、自民党内反対派とのやりとりも重要事項となった。下手して「分裂」になったら、主流派は元も子もない。

 反対派、加藤紘一、山崎拓の言動は、小渕及び森、野中らを相当いらだたせている。彼らは、要するに、自公連立を続ければ、選挙は敗北すると言っているようなものだからである。あるいは負けろ負けろとさえ言っているかに小渕はとる。

   山崎拓は、現在の衆議院を構成する第41回総選挙で自民党がかろうじて政権を確保するぎりぎりの勝利を収めた直後の自民党政務調査会長だった。かれは、非公式の場であったが、われわれ議員の前ではっきりこう言った。

   「いろいろあっても今回は任期満了選挙だ。そこは一歩も譲れない。予算を出来うる回数だけ組めば、野党はただ貧する」

   それが、党内反主流派になっている今、「サミット前解散をしろ」と要求の声をあげている。本心は言うまでもなく、早期解散ではなく、小渕と創価学会・公明党がスクラムを組んで作り上げている現下の自民内支配構造の打倒である。

 加藤も山崎も、いまの自民党内権力のスクラムのなかで、力を再び作ることはまず出来ない。それには、総裁選においてあまりにも不退転の決意で路線論争を挑みすぎた。また、小渕のほうとしては、あまりにも明確に(露骨に?)公明党との連携を正面に押し出しすぎた。だから、加藤も山崎も、関心は次回総選挙において自分らの部隊がどれほどの兵力をそろえることが出来るかだけである。加藤らにとって、公明党・創価学会と露骨に手を組んだ小渕がいるなら、民主党内旧自民系と手を組むことなど、よほど楽であることなのだ。ここに向けて、民主党からは、特に加藤紘一に対しては、ラブコールが続々と送られているわけだ。

   加藤も山崎も選挙前にそのコールを受けるわけにはいかない。だが、小渕自民が敗れた地点においては、小沢と創価学会の二つを抜いたところの保守中道連立がありうるではないか。またもしも、民主党内部の旧社会主義勢力がそこに加わっていても、創価学会の公明党より扱いはやさしいだろう。それはおそらく、国民に対してもはるかに座りの良い連立像を提供するだろう。

   こうして、民主党が一応、表向きに主張する早期解散論に、結果的に軌をいつにするようなサミット前解散論が自民反主流派から打ち出されているというわけだ。

株価と経済の上げ潮は?
   ここに来て、株価という基準から見た場合の経済の調子は上向きである。ところが、小渕内閣の人気、ことに自公連立への反発もはっきり上向きなのだ。よって公明党は、よほど相手の隙がなければ早期選挙はやりたくないのである。

   こういう状況であって、総理は一人で決定できるものではない。日本における政治のリーダーシップとは、常に総合調整なのだから…。そして、選挙について言えば、その総合調整の中で、自民党は自由党に配慮して、公明党に頭を下げて20人の定数削減法案を無理やり成立させた。ということになると、今回の解散・総選挙の日程決定の構造的キーは明らかに、公明党が握っていると解明できる。

   連立内閣のキーは、頭を下げられたほうにある。小渕は、いくら背後にアメリカの了解があるといっても、参議院の過半数が抑えられなければ、各種法案がいずれもデッドロックに乗り上げるからとして、頭を下げて公明党を内閣に迎えたのであった。公明党がそれをいかに待っていたかは、具体的な頭の下げ方には関係ない。どちらが下げたかだけが問題なのだ。それは、小渕が下げた。小渕は、連立を作るときに、先に公明党に行かずに、自由党を先に迎え入れることによって自と公だけの連立という「汚名」(自自公連立が出来たとき、ある自民党衆議院議員が「やはり、自由党の存在は大きいいんだよな。なんてったって、自と公だけでホテルに入るわけにはいかないんだから」と言った)を避けることが出来たのであった。

   だが、自自公連立も足掛け三年目にもなれば、いかに鈍感な人の目にも連立という事態の要は公明党の存在だということは分かってくる。今度、解散の後に来る総選挙とは、衆議院の第42回総選挙である。そこで多少、自民党が勝っても、既に自民党単独で過半数を持っているのが現在の衆議院なのだから、別に何も具体的に変わることはないではないか。勿論、自民党が圧倒的に民主党を粉砕すれば、「衆議院選挙に勝った自民党」というお墨付きはもらえる。しかし、公明党を入れなければ過半数をとれないという参議院の状態は、今度の解散・総選挙で変わりようがないという事実もまた絶対である。

   また逆に、公明党にすれば、俺たちがいなければ参議院では過半数が取れないじゃないかという脅しを最大限に使わねばならない。今度の総選挙で小渕内閣派が大きく敗れることでもあると、おそらく、その後の国会がどうこうということよりも来年の参議院選挙での自民の大敗がさらに予測されるという流れになってくる。

   そうなると、間違いなく自民は分裂である。そこで、当然、民主の一部または全部と、自民の反主流派が組む(まだ、一政党になる必要はどちらにもなかろうが)という事態がきわめて現実的なことになってくるだろう。

   その匂いが出てくれば出てくるほど、国民は、公明党・創価学会を軸にしたところの連立自民党政権へNOのレッドカードを突きつける可能性が高い。なぜなら国民の政権党へのNOは、NOの側が勝つ可能性が見えてくれば来るほど加速されるものなのである。だから、まだそこは(そちらを期待する向きから言えば)まだ、「動いて」はいない。こういうマクロの状況の中で、自公連立派から攻めて出る解散は、よほどの勝つ確率と相手の弱点を突ける自信がなくては打てないはずである。にもかかわらず、繰り返し繰り返し、宙に向かって放たれるアドバルーンがるのはどういうわけか。それは「水鳥の羽音で逃げ出す平家勢」を期待してのことだ。だがそれも、一応ながら、民主党の幹部が、早く解散をやれと要求している以上、無理なことであろう。

キーは自民党にはない──公明がサミットにどう関わるかだ
   キーはもはや、小渕にはなく、今度の総選挙と、まさかとは思うが次の参議院選挙で敗れたりすると存続そのものがとつぜんの危険な角番になってしまう、公明党に預けられたと見るべきなのである。実際、いまの自民党本部には、自分たち自民党が仕切って解散・総選挙へ行くぞという緊張感はないのである。あるのはあくまでも、相手の失策はのがさないというものだ。それでも虎視眈々ではあるが‥受身だ。だが、あまり意識されていないようだが、公明党もまた、ここで政権に加わったおかげで、これが裏目に出たら、次の参議院選挙を経て、存在が問われる局面が来るのである。

   ところで、解散を仕切るとかの「力技」は、自民党幹部では野中広務が得意としているわけだが、野中には自民反主流派はもとより、小渕派の与論を「もはや解散やむなし」と持ち込んでいく(ゆっくりというわけには行かない、あるとき瞬間にやらねばなるまい)能力はない。出来るのは竹下だけだが、そういう健康はない。もう一人の力技好き亀井静香は、今回の選挙では、自派の部隊維持に集中でせざるを得ない状況だ。

   ということになると、今後の政局上の問題点は何か。おそらく、経済ではなく(それはこのまま「悪くはない」というかたちで推移するだろうが、政局の決め手にもならない)、サミットである。

   換言すれば、サミットを内政とも絡めて、政局上の重要課題だと位置付けることが小渕に出来れば、まあそれなりの勝ちが小渕にも見えてくるだろう。そうでもなければ、小渕はしんどい。で、もともと今の日本にとってサミット開催など、それ自体に大きな意味があるわけではない。外交上、そこで何か大きな懸案事項の解決が見込まれるわけでもない。言ってみれば、ロシア問題だろうと朝鮮半島問題だろうと、せいぜい一歩ほど前進があればいいほうだ。うっかりすると、全く何もないのが関の山である。もし、逆にサミットでの外交上の成果への期待が膨らんでくるようなことがあると、小渕も困ってしまうではないか。プーチンのロシアにも、日本に何かを譲ってやるような善意はもとより、余裕は全くない。クリントン─ゴアも、ここでは手詰まりだ。彼らは、強敵となった共和党を大統領選でかわせるかどうかが、大課題だ。ここも余裕がなくなってしまった。

   こうなったところで、一体何を、わざわざ沖縄でやることになったサミットにおいて日本の小渕に分けてやることができるのか。はなはだ心もとないものがある。ましてや、カルトではないかという指摘まである創価学会の公明党に対し、アメリカは何かをしてやれるのか。無理だ。また、公明党自身がサミットに何かを自分たちの目標として掲げることも無理だろう。となれば、サミットは政治休戦の時期となってしまう。

   本来ならば、小渕にとってのベストの解散のタイミングは、三月上旬までに平均株価2万円をある程度の期間、回復させて、景気回復内閣の御旗のもと選挙に望むことだった。そうではなく、山もなく終わったサミット後に「ご苦労さん退陣論」あるいは「花道が出来たぞ論」が出されてしまうのはもっとも恐れるべきことであった。小渕派は、いまのところ次の総理総裁候補を持っていない。まさか、鈴木宗男というわけには行くまい。どう考えても、若い加藤紘一に対して不利なのだ。

   こういう点から言って、鳩山民主党に何か強烈なミスでも出て来ない限り、どこかが責任を持って主導してサミット前解散に持ち込んでいく可能性は非常に少ない。決め手にも全く欠ける状態なのだ。

株価解散の霧消
   本来なら、三月上旬、二日間ならば平均株価の終値が2万円を越したときがあった。そして三日目に惜しくも?わずかに2万円を割ってしまった。三月第一週である。かくして、いまだに(3月6日現在)バブル後の東京市場の平均株価は、2万円を越して終わった週がないという状態になっている。

   私は、株価2万円を三日続けて越すと、一週間続くような反応が起きて、そうなると一気に与党側に押せ押せムードが出ると言って来た。

   三日というのは、反応上、調子に乗りやすい日本人の能天気ムードを呼ぶ可能性の基礎であって、それ自体が何らかの重要な、具体的でデジタルな条件ではありえないが、そういう緊張感は一瞬、漂ったのだった。実際、官邸内では、株価2万円台安定化を前提にして、解散総選挙日程の調整がひそかに進められた。でも、それを越して(逃して、あるいは逃げられて)逆に瞬間の株価2万円だけならどうということのない実績の範囲になってしまったのだ。

   ここで起きた仕切りなおしは、小渕内閣の解散日程について、ある種、決定的な影響を持ったのではないか。つまり、サミット前にうまく日程をセットする可能性を奪ったということなのである。

   つまり、久方ぶりの経済の上潮ぶりが内外に示されれば、小渕はサミットでまずはいい顔を欧米に対してすることが出きる。出来たら、株価だけではなくて成長率も回復していたら最高である。これは、好転の展望だけでも格好はつくかもしれない。だから、経済企画庁長官は株価2万円のタイミングを見計らって、「ひょっとしたら回復宣言」を打ったわけである。だが、これも不発に終わった。不発と言う意味は、国民のマインドに「そうか、よし」という気持ちをうみつけられなかったことである。私が株価2万円三日がキーだと言ったのは、それが一つの核弾頭になりうると見たからだった。具体的には、四日必要だったかも知れず、あるいは二日間でももう少しインパクトがあれば「いけた」かも知れない。そういう意味だったのだが、どうやら幸運は小渕―公明の手のひらからスリップして抜け落ちた。

もはや、解散権は時が握った
   時の手から解散権が滑り落ちるのは、誰かの大ポカか、警察が急に国民の期待にこたえ、すべての行方不明少年少女を救い出して「小渕総理のおかげです」とコメントすることだが、この後者こそ全くあり得ないとは誰でも知っている。大ポカはありうるが、これもある意味では神の御手の中にゆだねられたのである。

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